David Bowie-ASYLUM THE SOUL TOUR 1974 【2CD】 [DEN-033/034]
David Bowie-ASYLUM THE SOUL TOUR 1974 【2CD】
[DEN-033/034]
販売価格: 4,500円(税込)
在庫あり
商品詳細
ボウイは1972年と1973年と二年をかけてジギーとしてツアーを行ない大成功を収めた。今やジギーはボウイの異名として定着し、その名声は確かなものとなった。しかしボウイは商業的にも成功を収めたジギーを踏襲することをせず、それを過去のものとして葬り去る事を決意する。ツアー最終日にボウイがステージで「これが我々の最後のショウであり、今後二度とプレイしない」と語ったのは有名だが、これはボウイ自身というよりも、ジギーとしてはステージに立たないという意味であったのだろう。実際にボウイはその後も数多くのツアーをこなしているのは歴史が示す通りである。
1973年4月、ツアーの合間を縫ってレコーディングが行なわれていた『アラジンセイン』がリリースとなる。曲調は当時ツアーを行なっていたアメリカの影響を多分に受けており、乾いた硬質な空気がアルバムを支配している。その内の何曲かはリリース前から早くもステージで披露されていた。アメリカでは今一つセールスはパッとしなかったものの、イギリスではヒット・アルバムとなった。しかし強烈なジギーの後で印象が薄いことは否めず、また、タイトル「アラジンセイン(Aladdin Sane)」は「(非常識な若者(A Lad Insane)」のアナグラムであり、ジギーに続く自己投影のキャラクターであったが、これもジギーの二番煎じ的な印象は払拭できず、ボウイは苦悶の時期を過ごしていた。大山のぶ代がドラえもん以外の仕事が限られていたように、強烈な印象を残すキャラクターを演じた後に新たな役柄をこなすというのは難しいということだろう。
そこでボウイは完全に過去と決別するために、逆説的だが自らの原点に立ち返るカバー・アルバムのレコーディングに没頭することになる。その結果が、同じ1973年にリリースされた『ピンナップス』である。タイトル通りピンナップとして飾っておきたくなるような愛すべき他者の楽曲をボウイのスタイルでカバーしたアルバムである。後年のボウイが歌うカバー曲は原曲を見事にぶち壊しまるっきりオリジナルのようなアレンジに変えることで定評あるが、このアルバムではそこまで破壊的ではなく、比較的原曲の雰囲気を残し、ボウイは純粋に演奏を楽しんでいるように思える。ちなみにジャケット写真で一緒に映っている女性はツイッギーである。
ジギーとしてのツアー。そしてツアー中にレコーディングされた『アラジンセイン』。そしてステージ上でアナウンスするだけでなく、実際にジギーを葬り去るためのカバー・アルバム。この三つが1973年のボウイの動きであった。そして休む間もなく、早くも次なるアルバムのレコーディングに着手する。しかし肥大化したジギーの後遺症は大きく、ボウイにとって、スタッフやバック・バンドとのトラブルが相次ぎ、あまり精神状態の良い時期ではなかったようだ。さらに悪循環は巡り、それらを紛らすかのように薬物を摂取、それに伴い食が細くなり、この時期の写真を見るとボウイはガリガリに痩せ、頬はこけ、とても不健康に見える。
ジョージ・オーウェルの有名な小説に『1984』という小説がある。1949年に発表されたもので、タイトルの『1984』はこの小説が執筆された時点では遠い未来の年号である。当時は冷戦の黎明期であり、ソ連を連想させる全体主義国家に分断統治されている近未来世界、監視社会の恐怖などを描き、反共思想にとってバイブル的存在となっていた小説である。ボウイは次のアルバムのコンセプトにこのジョージ・オーウェルの『1984』から着想を得て、下半身が野獣と化した少し不気味な「ダイアモンドの犬」というキャラクターを作り出す。アルバム・タイトルはズバリ『ダイアモンドの犬』で、アルバムにはジョージ・オーウェルの小説からそのまま拝借した『1984』や『ビッグブラザー』といったタイトルの曲が並ぶ。当初は小説『1984』のミュージカル化を目していたが、ジョージ・オーウェルの遺族の許可が下りなかったという経緯もあり、アルバムはまるで舞台が始まるかのような仰々しいアナウンスと拍手で始まり、その拍手に導かれてタイトルソングが始まるという劇的なオープニングとなっている。さらに「Sweet Thing」と「Candidate」がメドレーで繋がっており、それらが再び「Sweet Thing」のリプライズでまとめられるなど、随所にミュージカルがベースになっていると思しき箇所が散見される。そしてボウイは、このアルバムを伴い1974年6月から新たなツアーに出るのである。
新しいツアーに際しリハーサルは約2か月に渡って念入りに行なわれ、ステージセットも費用をかけ大がかりなものにし、事前に自らテレビ・コマーシャルに出るなど、このツアーにかけるボウイの意気込みは大きく、ツアーは大きく三つのレグに別れ、北米のみで73公演と全米を念入りにまわるものであった。このツアーは公式にレコーディングされ、後に『David Live』としてリリースされている。このライヴ・アルバムはファースト・レグで行なわれたフィラデルフィアにおける6連続公演のライヴ音源から構成されている。またセカンド・レグからは『Strange Fascination definitive edition』という素晴らしいサウンドボード音源が流出している。いずれもファンにとっては必携のものであり、音質も最高の部類であるが、残念ながら演奏は精彩を欠くと言ってよい。意図したアレンジであるのだが、どの曲もテンポをゆったりと遅くし、ボウイは終始囁くような発声で歌っている。バックバンドはお世辞にも上手いといえず、かつアレンジも平凡なものである。ボウイの意気込みとは別に、やはり薬物接種の影響で覇気が感じられない、熱演ではあるのだが熱狂とは遠く離れ、ステージで孤立しているボウイの様子が目に浮かぶようなライヴである。さらに悪い事に、コンサートの楽屋ではギャラを巡るバンド・メンバーとのトラブル、さらにレコーディングを事前に知らされていなかったらしく、当日になってすらバンド・メンバーとボウイの間でトラブルが生じたと伝えられる。そのような状況の中で必死で歌うボウイはあまりにも孤独だ。
このようにファースト・レグ、セカンド・レグをこなしたボウイは、次々に襲われるトラブルの数々に頭を悩ませていた。そしてツアーの合間を縫って早くも次のアルバムに着手する。それが後に『ヤング・アメリカンズ』としてリリースされるのは、年があけた1975年1月まで待たねばならない。『ヤング・アメリカンズ』はボウイの新たな試みとして「白人によるソウル」をコンセプトに作られたもので、その後長きに渡ってボウイを支えることとなるカルロス・アロマーをギターに迎え、アルバム全体がまるっきりソウル色に染められた。話題となったのはジョンレノンとの共作「フェイム」と、ビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」のカバーである。特に後者のソウル・アレンジの見事な壊しっぷりはビートルズ・ファンの間でも人気が高く、むしろボウイがジョンに対し「どや!ここまで魂(ソウル)を込めて歌わんかいな!」とお手本を示すが如き名演として知られている。
従来のツアーで完全に疲弊しきったボウイは、サード・レグを始めるにあたって、なんとツアー途中でコンセプトをがらりと変えてしまうという冒険を試みる。ちょうどレコーディング中の『ヤング・アメリカンズ』の楽曲を新たにセットリストに組み入れ、それのみならず、他の楽曲のアレンジもどことなくソウル風に変えて演奏したのである。ツアー・タイトルも「ダイアモンド・ドッグス・ツアー」ではなく「ソウル・ツアー」と呼ばれ、同じツアーの中でありながらツアー・タイトルが異なって呼称されている。それくらいファースト&セカンド・レグとは全く異なるコンセプトでサード・レグに臨んだのである。この時期のボウイの興味がソウルに移り、アルバムもレコーディング中である。本人の中では既に過去のものとなった「ダイアモンドの犬」を継続してツアーで演奏するには抵抗があったのかもしれない。既にボウイはファンよりも先に進んでいたのである。本作はそのサード・レグ、通称ソウル・ツアーより2公演を収録したタイトルである。
ディスク1には1974年11月15日ボストン公演が、そしてディスク2には1974年10月10日ウィスコンシン州のマジソン公演をそれぞれ収録している。ソウル・ツアーの代表的音源のカップリングである。コンサートは会場に流れる「フリーフェスティバルの思い出」から始まり、アルバムと同じように司会者の言葉で開演する。もちろん同じツアーのサード・レグなので、ダイアモンド・ドッグ・ツアーを踏襲している部分もあるが、ソウル・ツアーならではの選曲としては、まず「ジョン・アイム・オンリー・ダンシング」が挙げられる。スタジオ・バージョンは(again)と副題がつけられ現在は公式にボーナストラックで聴くことが出来るが、当時のステージを見たファンは、ジギー時代のあのアレンジを想定して聴くと腰を抜かすくらい驚くであろう。それくらい自分の曲すらも見事な壊しっぷりのアレンジで演奏しているのである。「愛の悲しみ」は『ピンナップス』に収録のカバー曲である。その他「恋のささやき」「幸運の神」、そしてやはり『ヤング・アメリカンズ』にボーナストラックでスタジオ・バージョンが収録されている「イッツ・ゴナ・ビー・ミー」など、レア・ナンバーがこれでもかというくらいに演奏されている。詳細はトラックリストをご覧になっていただきたいのだが、これはもはや「ダイアモンド・ドッグス・ツアー」ではなく、まごうことなき「ヤング・アメリカンズ・ツアー」なのである。
ボウイ1974年ダイアモンド・ドッグ・ツアーより、ファースト・レグがオフィシャル『David Live』なら、セカンド・レグは『Strange Fascination definitive edition』、そしてサード・レグは本作が音質的にも内容的にも決定盤ということになるだろう。ソウル・ツアーはボウイのコレクションの中でも特殊な位置を占めるツアーと言える。それを2公演収録したのが本作である。美しいピクチャー・ディスク仕様の永久保存がっちりプレス盤。
DISC ONE
BOSTON MUSIC HALL BOSTON MA U.S.A. November 15, 1974
01. Memory Of A Free Festival
02. Rebel Rebel
03. John I’m Only Dancing
04. Sorrow
05. Changes
06. Young Americans
07. 1984
08. Foot Stompin’
09. Rock And Roll With Me
10. Love Me Do - The Jean Genie
11. Moonage Daydream
12. Can You Hear Me
13. Somebody Up There Likes Me
14. Suffragette City
15. Rock ‘N Roll Suicide
16. Diamond Dogs
DISC TWO
UNIVERSITY OF WISCONSIN MADISON WI U.S.A. October 10, 1974
01. Memory Of A Free Festival
02. Rebel Rebel
03. John I'm Only Dancing
04. Sorrow
05. Changes
06. 1984
07. Moonage Daydream
08. Rock And Roll With Me
09. Love Me Do - The Jean Genie
10. Diamond Dogs
11. Young Americans
12. Can You Hear Me
13. It's Gonna Be Me
14. Somebody Up There Likes Me
15. Suffragette City
16. Rock'n'roll Suicide
1973年4月、ツアーの合間を縫ってレコーディングが行なわれていた『アラジンセイン』がリリースとなる。曲調は当時ツアーを行なっていたアメリカの影響を多分に受けており、乾いた硬質な空気がアルバムを支配している。その内の何曲かはリリース前から早くもステージで披露されていた。アメリカでは今一つセールスはパッとしなかったものの、イギリスではヒット・アルバムとなった。しかし強烈なジギーの後で印象が薄いことは否めず、また、タイトル「アラジンセイン(Aladdin Sane)」は「(非常識な若者(A Lad Insane)」のアナグラムであり、ジギーに続く自己投影のキャラクターであったが、これもジギーの二番煎じ的な印象は払拭できず、ボウイは苦悶の時期を過ごしていた。大山のぶ代がドラえもん以外の仕事が限られていたように、強烈な印象を残すキャラクターを演じた後に新たな役柄をこなすというのは難しいということだろう。
そこでボウイは完全に過去と決別するために、逆説的だが自らの原点に立ち返るカバー・アルバムのレコーディングに没頭することになる。その結果が、同じ1973年にリリースされた『ピンナップス』である。タイトル通りピンナップとして飾っておきたくなるような愛すべき他者の楽曲をボウイのスタイルでカバーしたアルバムである。後年のボウイが歌うカバー曲は原曲を見事にぶち壊しまるっきりオリジナルのようなアレンジに変えることで定評あるが、このアルバムではそこまで破壊的ではなく、比較的原曲の雰囲気を残し、ボウイは純粋に演奏を楽しんでいるように思える。ちなみにジャケット写真で一緒に映っている女性はツイッギーである。
ジギーとしてのツアー。そしてツアー中にレコーディングされた『アラジンセイン』。そしてステージ上でアナウンスするだけでなく、実際にジギーを葬り去るためのカバー・アルバム。この三つが1973年のボウイの動きであった。そして休む間もなく、早くも次なるアルバムのレコーディングに着手する。しかし肥大化したジギーの後遺症は大きく、ボウイにとって、スタッフやバック・バンドとのトラブルが相次ぎ、あまり精神状態の良い時期ではなかったようだ。さらに悪循環は巡り、それらを紛らすかのように薬物を摂取、それに伴い食が細くなり、この時期の写真を見るとボウイはガリガリに痩せ、頬はこけ、とても不健康に見える。
ジョージ・オーウェルの有名な小説に『1984』という小説がある。1949年に発表されたもので、タイトルの『1984』はこの小説が執筆された時点では遠い未来の年号である。当時は冷戦の黎明期であり、ソ連を連想させる全体主義国家に分断統治されている近未来世界、監視社会の恐怖などを描き、反共思想にとってバイブル的存在となっていた小説である。ボウイは次のアルバムのコンセプトにこのジョージ・オーウェルの『1984』から着想を得て、下半身が野獣と化した少し不気味な「ダイアモンドの犬」というキャラクターを作り出す。アルバム・タイトルはズバリ『ダイアモンドの犬』で、アルバムにはジョージ・オーウェルの小説からそのまま拝借した『1984』や『ビッグブラザー』といったタイトルの曲が並ぶ。当初は小説『1984』のミュージカル化を目していたが、ジョージ・オーウェルの遺族の許可が下りなかったという経緯もあり、アルバムはまるで舞台が始まるかのような仰々しいアナウンスと拍手で始まり、その拍手に導かれてタイトルソングが始まるという劇的なオープニングとなっている。さらに「Sweet Thing」と「Candidate」がメドレーで繋がっており、それらが再び「Sweet Thing」のリプライズでまとめられるなど、随所にミュージカルがベースになっていると思しき箇所が散見される。そしてボウイは、このアルバムを伴い1974年6月から新たなツアーに出るのである。
新しいツアーに際しリハーサルは約2か月に渡って念入りに行なわれ、ステージセットも費用をかけ大がかりなものにし、事前に自らテレビ・コマーシャルに出るなど、このツアーにかけるボウイの意気込みは大きく、ツアーは大きく三つのレグに別れ、北米のみで73公演と全米を念入りにまわるものであった。このツアーは公式にレコーディングされ、後に『David Live』としてリリースされている。このライヴ・アルバムはファースト・レグで行なわれたフィラデルフィアにおける6連続公演のライヴ音源から構成されている。またセカンド・レグからは『Strange Fascination definitive edition』という素晴らしいサウンドボード音源が流出している。いずれもファンにとっては必携のものであり、音質も最高の部類であるが、残念ながら演奏は精彩を欠くと言ってよい。意図したアレンジであるのだが、どの曲もテンポをゆったりと遅くし、ボウイは終始囁くような発声で歌っている。バックバンドはお世辞にも上手いといえず、かつアレンジも平凡なものである。ボウイの意気込みとは別に、やはり薬物接種の影響で覇気が感じられない、熱演ではあるのだが熱狂とは遠く離れ、ステージで孤立しているボウイの様子が目に浮かぶようなライヴである。さらに悪い事に、コンサートの楽屋ではギャラを巡るバンド・メンバーとのトラブル、さらにレコーディングを事前に知らされていなかったらしく、当日になってすらバンド・メンバーとボウイの間でトラブルが生じたと伝えられる。そのような状況の中で必死で歌うボウイはあまりにも孤独だ。
このようにファースト・レグ、セカンド・レグをこなしたボウイは、次々に襲われるトラブルの数々に頭を悩ませていた。そしてツアーの合間を縫って早くも次のアルバムに着手する。それが後に『ヤング・アメリカンズ』としてリリースされるのは、年があけた1975年1月まで待たねばならない。『ヤング・アメリカンズ』はボウイの新たな試みとして「白人によるソウル」をコンセプトに作られたもので、その後長きに渡ってボウイを支えることとなるカルロス・アロマーをギターに迎え、アルバム全体がまるっきりソウル色に染められた。話題となったのはジョンレノンとの共作「フェイム」と、ビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」のカバーである。特に後者のソウル・アレンジの見事な壊しっぷりはビートルズ・ファンの間でも人気が高く、むしろボウイがジョンに対し「どや!ここまで魂(ソウル)を込めて歌わんかいな!」とお手本を示すが如き名演として知られている。
従来のツアーで完全に疲弊しきったボウイは、サード・レグを始めるにあたって、なんとツアー途中でコンセプトをがらりと変えてしまうという冒険を試みる。ちょうどレコーディング中の『ヤング・アメリカンズ』の楽曲を新たにセットリストに組み入れ、それのみならず、他の楽曲のアレンジもどことなくソウル風に変えて演奏したのである。ツアー・タイトルも「ダイアモンド・ドッグス・ツアー」ではなく「ソウル・ツアー」と呼ばれ、同じツアーの中でありながらツアー・タイトルが異なって呼称されている。それくらいファースト&セカンド・レグとは全く異なるコンセプトでサード・レグに臨んだのである。この時期のボウイの興味がソウルに移り、アルバムもレコーディング中である。本人の中では既に過去のものとなった「ダイアモンドの犬」を継続してツアーで演奏するには抵抗があったのかもしれない。既にボウイはファンよりも先に進んでいたのである。本作はそのサード・レグ、通称ソウル・ツアーより2公演を収録したタイトルである。
ディスク1には1974年11月15日ボストン公演が、そしてディスク2には1974年10月10日ウィスコンシン州のマジソン公演をそれぞれ収録している。ソウル・ツアーの代表的音源のカップリングである。コンサートは会場に流れる「フリーフェスティバルの思い出」から始まり、アルバムと同じように司会者の言葉で開演する。もちろん同じツアーのサード・レグなので、ダイアモンド・ドッグ・ツアーを踏襲している部分もあるが、ソウル・ツアーならではの選曲としては、まず「ジョン・アイム・オンリー・ダンシング」が挙げられる。スタジオ・バージョンは(again)と副題がつけられ現在は公式にボーナストラックで聴くことが出来るが、当時のステージを見たファンは、ジギー時代のあのアレンジを想定して聴くと腰を抜かすくらい驚くであろう。それくらい自分の曲すらも見事な壊しっぷりのアレンジで演奏しているのである。「愛の悲しみ」は『ピンナップス』に収録のカバー曲である。その他「恋のささやき」「幸運の神」、そしてやはり『ヤング・アメリカンズ』にボーナストラックでスタジオ・バージョンが収録されている「イッツ・ゴナ・ビー・ミー」など、レア・ナンバーがこれでもかというくらいに演奏されている。詳細はトラックリストをご覧になっていただきたいのだが、これはもはや「ダイアモンド・ドッグス・ツアー」ではなく、まごうことなき「ヤング・アメリカンズ・ツアー」なのである。
ボウイ1974年ダイアモンド・ドッグ・ツアーより、ファースト・レグがオフィシャル『David Live』なら、セカンド・レグは『Strange Fascination definitive edition』、そしてサード・レグは本作が音質的にも内容的にも決定盤ということになるだろう。ソウル・ツアーはボウイのコレクションの中でも特殊な位置を占めるツアーと言える。それを2公演収録したのが本作である。美しいピクチャー・ディスク仕様の永久保存がっちりプレス盤。
DISC ONE
BOSTON MUSIC HALL BOSTON MA U.S.A. November 15, 1974
01. Memory Of A Free Festival
02. Rebel Rebel
03. John I’m Only Dancing
04. Sorrow
05. Changes
06. Young Americans
07. 1984
08. Foot Stompin’
09. Rock And Roll With Me
10. Love Me Do - The Jean Genie
11. Moonage Daydream
12. Can You Hear Me
13. Somebody Up There Likes Me
14. Suffragette City
15. Rock ‘N Roll Suicide
16. Diamond Dogs
DISC TWO
UNIVERSITY OF WISCONSIN MADISON WI U.S.A. October 10, 1974
01. Memory Of A Free Festival
02. Rebel Rebel
03. John I'm Only Dancing
04. Sorrow
05. Changes
06. 1984
07. Moonage Daydream
08. Rock And Roll With Me
09. Love Me Do - The Jean Genie
10. Diamond Dogs
11. Young Americans
12. Can You Hear Me
13. It's Gonna Be Me
14. Somebody Up There Likes Me
15. Suffragette City
16. Rock'n'roll Suicide