LED ZEPPELIN-TOUR OVER ZURICH 1980 【3CD】 [WECD-288/289/290]
LED ZEPPELIN-TOUR OVER ZURICH 1980 【3CD】
[WECD-288/289/290]
販売価格: 6,000円(税込)
在庫あり
商品詳細
■1980年6月29日チューリッヒ公演をサウンドボード収録。
■唯一の欠落部分「カシミール」の後半は同日オーディエンス音源で補完して完全収録。
■1980年9月のラスト・リハーサルを収録。
■ボンゾ死去を伝えるニュース・レポートを収録。
レッド・ツェッペリンは1968年にデビューしたのだが、結成当初、ジミー・ペイジはバンドの方向性としてアコースティックを志向するか、或いはハードロック路線で行くかと迷ったという。そして最終的にハードロックを選択したのは、ひとえにボンゾの存在があったからではないかと思われる。それを決断させるくらいボンゾのドラミングは独特なものであり、他のドラマーとは一線を画す比類なきものであった。ジミヘンが後にも先にも類似の存在を許さなかったように、ボンゾもまたドラムにおけるジミヘン的な存在であると言える。ジョン・ポール・ジョーンズは小さなスタジオで初めて4人揃ってセッションした時の印象として「ジョン・ボーナムの演奏を聴いて、このバンドが偉大になると確信した」と語っている。ツェッペリンの音楽性を決定づけたのは、まさにボンゾの存在が大きく影響していると言えよう。
70年代を一気に駆け抜けたツェッペリンは、時代を形成した「そのディケイド」の象徴とも言える存在であった。しかし楽器と異なり自身の発声を披露せねばならないプラントは、バンド初期からの喉の酷使がたたり、1973年のツアー後に、痛めた喉の手術に踏み切る。そのためデビュー以後毎年行われていたツアーは1974年に限って行なわれていない。そして術後の回復を待って1975年に再び大規模な全米ツアー、さらに伝説的なロンドンはアールズ・コート連続公演を行なった。1年のブランクを経て再びツェッペリンが始動したのである。しかしバンドを次々に襲う不幸は、この後も活動を大いに制限する結果となる。まず1975年、プラントが自動車事故で両足を骨折、ツアーは中止され、再び治療に専念することになった。そのため1974年に続いて1976年もツアーは行なわれなかった。この間にレコーディングされた『プレゼンス』は、プラントは車椅子に座ったまま歌ったと伝えられる。
1977年にバンドは再び始動を図る。プラントは歌唱法を変え、また機材の助けを借り、偉大なレッド・ツェッペリンよ再びと、これまでにない大規模な全米ツアーを行なった。この1977年のツアーは名演揃いであり、当時のニューアルバム『プレゼンス』の完成度と相俟って、ファンの間でも非常に人気の高いツアーである。特にMSGとLAにおける連続公演はツェッペリン史上に残る重要なコンサートとして位置づけられている。しかしツアーの後半、今度はプラントの長男カラックがウイルス性感染症で死去するという不幸が訪れる。息子の死にショックを受けたプラントと共に、バンドは無期限の活動中止を余儀なくされてしまう。
デビュー以来、大規模なツアーを大小織り交ぜて行なってきたレッド・ツェッペリンであったが、1974年、1976年に続いて、1978年も一切のツアーを行なえる状態でなかった。その後1979年にネブワース・フェスに出演し2公演、そのウォーミング・アップ・ギグとしてコペンハーゲンで2公演を行ない、合計4公演をこの年に行なっているが、それまでのバンドとは程遠く精彩を欠くものであった感は否めない。それはバンドのブランクやプラントの状態なども影響しているだろうが、何よりツェッペリンの音楽性が時代の調和と少し外れたものになっていたことが最大の理由ではないだろうか。
1970年代後半、時代はパンクが全盛を迎えていた。反体制の過激な歌詞をシンプルかつ稚拙ながら攻撃的な演奏スタイルで歌う、そして音楽のみならずファッションに至るまで、トータルな生き様としてのパンクが若者に大いに受け入れられており、レッド・ツェッペリンなどは巨大な存在になり過ぎて身動きがとれなくなった恐竜のような古い存在と見做されていた。時代は刻々と変化していたこと、それをツェッペリンも意識せざるを得ない時期が来ていたのである。
アルバム『イン・スルー・ジ・アウトドア』は1978年11月にレコーディングが始まり、翌1979年にリリースされた。それまでバンドの主導権を握っていたのは常にジミー・ペイジであったが、このアルバムはジョン・ポール・ジョーンズにその主導権を譲り渡したかのように、彼の色彩が色濃く反映されたものとなっている。前作『プレゼンス』がキーボードレスのアルバムだったのとは対照的に、このアルバムではキーボードが前面に押し出され、作曲においてもジミーを上回る曲数でクレジットされている。そして、このアルバムの発表に伴い、1980年に欧州ツアーが発表されるのであった。TOUR OVER EUROPEと題された3年ぶりのツアーは、後に予定している全米ツアーの予行のような位置づけでもあったのであろう、全14公演と小規模なものであり、マスコミが辛口な英国を避け、西ドイツを中心とした欧州を回ることが発表されたのである。
【1980年 TOUR OVER EUROPE】
1980年の欧州ツアーは、サウンドボード音源がここまで広く流通している現在とは異なり、リアルタイムでは謎に包まれたツアーであった。写真で見ることの出来るステージの様子は、ジーンズにTシャツというラフなスタイルのプラントに、髪を短く刈り込んだジョン・ポール・ジョーンズ、かつての70年代の雰囲気を一掃し、これから迎える80年代を強く意識したものとなっている。そしてステージにおいては、驚くべきことにジミー・ペイジがMCをしゃべっているのも、従来見られなかった光景である。ツェッペリン自身が、新しい時代のスタイルを模索していたのかもしれない。しかし一方で、時代を作るのではなく、時代に即すという、いわば迎合的な姿勢は、バンドの保守化と終焉を予感させられるものでもあった。
コンサートは意外や1969年当時と同じヤードバーズの「Train Kept A Rollin’」で開幕する。長いブランク開けに際し、原点回帰しようという意識の表れであったのかもしれない。ニュー・アルバム『イン・スルー・ジ・アウトドア』からは「In The Evening」「Hot Dog」「All My Love」の3曲にとどまっており、それ以外は全て過去の曲の再演となっている。また全体的にコンパクトな構成で、ショウは全体で2時間程度の長さに収まっている。長大な「幻惑されて」や「ノー・クォーター」、「モビーディック」などは全て省かれ、非常にシンプルなステージである。コンサート本編は各公演共通だが、アンコールがほぼ日替わりのセットリストとなっている。
【1980年6月29日チューリッヒ公演】
1980年の欧州ツアーは、ウィーンとミュンヘン以外、部分的にせよサウンドボード音源が流出している。もちろんサウンドボード音源といっても音質は様々であるが、このチューリッヒ公演のサウンドボード音源は、それらの中でも最高の部類のひとつとして、古くから親しまれてきた。ふくよかな音像とクリアな音色は、サウンドボード音源の利点が最大限に活かされている素晴らしい音質である。このサウンドボード音源は非の打ちどころがないものではあるのだが、唯一の欠落部分である「カシミール」の後半は、同日のオーディエンス音源で補完されている。その「カシミール」は途中で誰かが曲構成を見失ったのか、メロメロの演奏になっているのもご愛敬であろう。また「ロックンロール」における贅肉を削ぎ落としたパンキッシュなアレンジは、さすがのツェッペリンも時代に順応していかざるを得なかったのかと思わせる。
【1980年9月ツアー・リハーサル】
1980年7月に欧州ツアーを終えたツェッペリンは、続いて北米ツアーを予定していた。日程は1980年10月17日から11月15日の約一か月間で、カナダはモントリオールを皮切りに最終地シカゴまで全19公演が発表されていたのである。しかし歴史が示す通り、1980年9月25日、ジョン・ボーナムが嘔吐物を詰まらせたことが原因で32歳の若さで死去してしまう。当初は代役のドラマーを加入させてバンドを継続させる案も出たようだが、冒頭に書いたように、レッド・ツェッペリンをツェッペリンたらしめているのは、まごうことなきボンゾの存在であった。ボンゾの存在抜きにバンド継続は不可能であるという結論に達し、解散を宣言することになるのである。
この音源はその北米ツアー直前の9月に行なわれたリハーサル音源、俗に「ラスト・リハーサル」と呼ばれているものである。こちらもまたサウンドボード収録である。最初に「ホワイトサマー」が2テイク、ジミーが一音一音確認するかのような丁寧な演奏である。そしてそのままコンサートの構成と同じように間髪入れず「カシミール」に移行する。リハーサルらしくプラントは幾分流して歌っているような感じである。そして長大な「アキレス最後の戦い」は一転して本番さながらのスピード感あふるる演奏となっている。「天国への階段」は、イントロでおそらくスタッフであろう拍手が聞こえる。ドラが鳴りジャジャジャ〜ンの部分からミックスが変わるが、これもリハーサルならではの出音を変えて確認しているためであろう。
【ボンゾの死去のニュース・レポート】
ディスク3の後半はボンゾの死去を伝える当時のラジオ番組を収録している。もちろん英語である。かなり長い時間が費やされており、関係者のインタビューを交え、詳細にボンゾ死去の様子を伝えているのがわかる。当時の人々に与えた衝撃の度合いが伺えるというものだ。そしてこの2か月少し後にはジョン・レノンの死が控えている。日本では山口百恵と王貞治の引退など、1980年という年は、新しい10年の始まりであると共に、世界中でひとつの時代が終わる節目となる、人々の記憶に残る年であったのではないだろうか。実際にその後の80年代以降の世界は混沌とした方向性の定まらぬ、多様性といえば聞こえはいいが不安定な時代に突入したと言える。レッド・ツェッペリンは70年代のものであり、80年代以降は生き残れなかったのである。
【TOUR OVER ZURICH】
本作はツェッペリン最後のツアーとなった1980年欧州ツアーより、1980年6月29日チューリッヒ公演をサウンドボードで完全収録している。わずかな欠落部分は同日のオーディエンス音源で補完、このコンサートの完全収録となっている。音質的には数多く流出しているサウンドボード音源の中でも最上のひとつである。またディスク3はボンゾ死去によって中止となった1980年北米ツアーのリハーサル音源、ツェッペリン最後のリハーサルと伝えられる音源を収録している。そしてさらにボンゾの死去を伝える当時のニュース・レポートを収録。美しいピクチャー・ディスク仕様の永久保存がっちりプレス盤。日本語帯付。
サンプル音源
DISC ONE
Hallenstadion Zurich Swetzerland June 29, 1980
01. Introduction
02. The Train Kept A Rollin’
03. Nobody’s Fault But Mine
04. Black Dog
05. In The Evening
06. The Rain Song
07. Hot Dog
08. All My Love
09. Trampled Underfoot
10. Since I’ve Been Loving You
DISC TWO
01. Achilles Last Stand
02. White Summer - Black Mountain Side
03. Kashmir
04. Stairway To Heaven
05. Rock And Roll
06. Heartbreaker
DISC THREE
LAST REHEARSAL September 1980
01. White Summer #1
02. White Summer #2
03. Kashmir
04. Achilles Last Stand
05. Stairway To Heaven
BONZO’S DEATH NEWS September 25, 1980
06. News Report #1
07. News Report #2
08. News Report #3
09. News Report #4
■唯一の欠落部分「カシミール」の後半は同日オーディエンス音源で補完して完全収録。
■1980年9月のラスト・リハーサルを収録。
■ボンゾ死去を伝えるニュース・レポートを収録。
レッド・ツェッペリンは1968年にデビューしたのだが、結成当初、ジミー・ペイジはバンドの方向性としてアコースティックを志向するか、或いはハードロック路線で行くかと迷ったという。そして最終的にハードロックを選択したのは、ひとえにボンゾの存在があったからではないかと思われる。それを決断させるくらいボンゾのドラミングは独特なものであり、他のドラマーとは一線を画す比類なきものであった。ジミヘンが後にも先にも類似の存在を許さなかったように、ボンゾもまたドラムにおけるジミヘン的な存在であると言える。ジョン・ポール・ジョーンズは小さなスタジオで初めて4人揃ってセッションした時の印象として「ジョン・ボーナムの演奏を聴いて、このバンドが偉大になると確信した」と語っている。ツェッペリンの音楽性を決定づけたのは、まさにボンゾの存在が大きく影響していると言えよう。
70年代を一気に駆け抜けたツェッペリンは、時代を形成した「そのディケイド」の象徴とも言える存在であった。しかし楽器と異なり自身の発声を披露せねばならないプラントは、バンド初期からの喉の酷使がたたり、1973年のツアー後に、痛めた喉の手術に踏み切る。そのためデビュー以後毎年行われていたツアーは1974年に限って行なわれていない。そして術後の回復を待って1975年に再び大規模な全米ツアー、さらに伝説的なロンドンはアールズ・コート連続公演を行なった。1年のブランクを経て再びツェッペリンが始動したのである。しかしバンドを次々に襲う不幸は、この後も活動を大いに制限する結果となる。まず1975年、プラントが自動車事故で両足を骨折、ツアーは中止され、再び治療に専念することになった。そのため1974年に続いて1976年もツアーは行なわれなかった。この間にレコーディングされた『プレゼンス』は、プラントは車椅子に座ったまま歌ったと伝えられる。
1977年にバンドは再び始動を図る。プラントは歌唱法を変え、また機材の助けを借り、偉大なレッド・ツェッペリンよ再びと、これまでにない大規模な全米ツアーを行なった。この1977年のツアーは名演揃いであり、当時のニューアルバム『プレゼンス』の完成度と相俟って、ファンの間でも非常に人気の高いツアーである。特にMSGとLAにおける連続公演はツェッペリン史上に残る重要なコンサートとして位置づけられている。しかしツアーの後半、今度はプラントの長男カラックがウイルス性感染症で死去するという不幸が訪れる。息子の死にショックを受けたプラントと共に、バンドは無期限の活動中止を余儀なくされてしまう。
デビュー以来、大規模なツアーを大小織り交ぜて行なってきたレッド・ツェッペリンであったが、1974年、1976年に続いて、1978年も一切のツアーを行なえる状態でなかった。その後1979年にネブワース・フェスに出演し2公演、そのウォーミング・アップ・ギグとしてコペンハーゲンで2公演を行ない、合計4公演をこの年に行なっているが、それまでのバンドとは程遠く精彩を欠くものであった感は否めない。それはバンドのブランクやプラントの状態なども影響しているだろうが、何よりツェッペリンの音楽性が時代の調和と少し外れたものになっていたことが最大の理由ではないだろうか。
1970年代後半、時代はパンクが全盛を迎えていた。反体制の過激な歌詞をシンプルかつ稚拙ながら攻撃的な演奏スタイルで歌う、そして音楽のみならずファッションに至るまで、トータルな生き様としてのパンクが若者に大いに受け入れられており、レッド・ツェッペリンなどは巨大な存在になり過ぎて身動きがとれなくなった恐竜のような古い存在と見做されていた。時代は刻々と変化していたこと、それをツェッペリンも意識せざるを得ない時期が来ていたのである。
アルバム『イン・スルー・ジ・アウトドア』は1978年11月にレコーディングが始まり、翌1979年にリリースされた。それまでバンドの主導権を握っていたのは常にジミー・ペイジであったが、このアルバムはジョン・ポール・ジョーンズにその主導権を譲り渡したかのように、彼の色彩が色濃く反映されたものとなっている。前作『プレゼンス』がキーボードレスのアルバムだったのとは対照的に、このアルバムではキーボードが前面に押し出され、作曲においてもジミーを上回る曲数でクレジットされている。そして、このアルバムの発表に伴い、1980年に欧州ツアーが発表されるのであった。TOUR OVER EUROPEと題された3年ぶりのツアーは、後に予定している全米ツアーの予行のような位置づけでもあったのであろう、全14公演と小規模なものであり、マスコミが辛口な英国を避け、西ドイツを中心とした欧州を回ることが発表されたのである。
【1980年 TOUR OVER EUROPE】
1980年の欧州ツアーは、サウンドボード音源がここまで広く流通している現在とは異なり、リアルタイムでは謎に包まれたツアーであった。写真で見ることの出来るステージの様子は、ジーンズにTシャツというラフなスタイルのプラントに、髪を短く刈り込んだジョン・ポール・ジョーンズ、かつての70年代の雰囲気を一掃し、これから迎える80年代を強く意識したものとなっている。そしてステージにおいては、驚くべきことにジミー・ペイジがMCをしゃべっているのも、従来見られなかった光景である。ツェッペリン自身が、新しい時代のスタイルを模索していたのかもしれない。しかし一方で、時代を作るのではなく、時代に即すという、いわば迎合的な姿勢は、バンドの保守化と終焉を予感させられるものでもあった。
コンサートは意外や1969年当時と同じヤードバーズの「Train Kept A Rollin’」で開幕する。長いブランク開けに際し、原点回帰しようという意識の表れであったのかもしれない。ニュー・アルバム『イン・スルー・ジ・アウトドア』からは「In The Evening」「Hot Dog」「All My Love」の3曲にとどまっており、それ以外は全て過去の曲の再演となっている。また全体的にコンパクトな構成で、ショウは全体で2時間程度の長さに収まっている。長大な「幻惑されて」や「ノー・クォーター」、「モビーディック」などは全て省かれ、非常にシンプルなステージである。コンサート本編は各公演共通だが、アンコールがほぼ日替わりのセットリストとなっている。
【1980年6月29日チューリッヒ公演】
1980年の欧州ツアーは、ウィーンとミュンヘン以外、部分的にせよサウンドボード音源が流出している。もちろんサウンドボード音源といっても音質は様々であるが、このチューリッヒ公演のサウンドボード音源は、それらの中でも最高の部類のひとつとして、古くから親しまれてきた。ふくよかな音像とクリアな音色は、サウンドボード音源の利点が最大限に活かされている素晴らしい音質である。このサウンドボード音源は非の打ちどころがないものではあるのだが、唯一の欠落部分である「カシミール」の後半は、同日のオーディエンス音源で補完されている。その「カシミール」は途中で誰かが曲構成を見失ったのか、メロメロの演奏になっているのもご愛敬であろう。また「ロックンロール」における贅肉を削ぎ落としたパンキッシュなアレンジは、さすがのツェッペリンも時代に順応していかざるを得なかったのかと思わせる。
【1980年9月ツアー・リハーサル】
1980年7月に欧州ツアーを終えたツェッペリンは、続いて北米ツアーを予定していた。日程は1980年10月17日から11月15日の約一か月間で、カナダはモントリオールを皮切りに最終地シカゴまで全19公演が発表されていたのである。しかし歴史が示す通り、1980年9月25日、ジョン・ボーナムが嘔吐物を詰まらせたことが原因で32歳の若さで死去してしまう。当初は代役のドラマーを加入させてバンドを継続させる案も出たようだが、冒頭に書いたように、レッド・ツェッペリンをツェッペリンたらしめているのは、まごうことなきボンゾの存在であった。ボンゾの存在抜きにバンド継続は不可能であるという結論に達し、解散を宣言することになるのである。
この音源はその北米ツアー直前の9月に行なわれたリハーサル音源、俗に「ラスト・リハーサル」と呼ばれているものである。こちらもまたサウンドボード収録である。最初に「ホワイトサマー」が2テイク、ジミーが一音一音確認するかのような丁寧な演奏である。そしてそのままコンサートの構成と同じように間髪入れず「カシミール」に移行する。リハーサルらしくプラントは幾分流して歌っているような感じである。そして長大な「アキレス最後の戦い」は一転して本番さながらのスピード感あふるる演奏となっている。「天国への階段」は、イントロでおそらくスタッフであろう拍手が聞こえる。ドラが鳴りジャジャジャ〜ンの部分からミックスが変わるが、これもリハーサルならではの出音を変えて確認しているためであろう。
【ボンゾの死去のニュース・レポート】
ディスク3の後半はボンゾの死去を伝える当時のラジオ番組を収録している。もちろん英語である。かなり長い時間が費やされており、関係者のインタビューを交え、詳細にボンゾ死去の様子を伝えているのがわかる。当時の人々に与えた衝撃の度合いが伺えるというものだ。そしてこの2か月少し後にはジョン・レノンの死が控えている。日本では山口百恵と王貞治の引退など、1980年という年は、新しい10年の始まりであると共に、世界中でひとつの時代が終わる節目となる、人々の記憶に残る年であったのではないだろうか。実際にその後の80年代以降の世界は混沌とした方向性の定まらぬ、多様性といえば聞こえはいいが不安定な時代に突入したと言える。レッド・ツェッペリンは70年代のものであり、80年代以降は生き残れなかったのである。
【TOUR OVER ZURICH】
本作はツェッペリン最後のツアーとなった1980年欧州ツアーより、1980年6月29日チューリッヒ公演をサウンドボードで完全収録している。わずかな欠落部分は同日のオーディエンス音源で補完、このコンサートの完全収録となっている。音質的には数多く流出しているサウンドボード音源の中でも最上のひとつである。またディスク3はボンゾ死去によって中止となった1980年北米ツアーのリハーサル音源、ツェッペリン最後のリハーサルと伝えられる音源を収録している。そしてさらにボンゾの死去を伝える当時のニュース・レポートを収録。美しいピクチャー・ディスク仕様の永久保存がっちりプレス盤。日本語帯付。
サンプル音源
DISC ONE
Hallenstadion Zurich Swetzerland June 29, 1980
01. Introduction
02. The Train Kept A Rollin’
03. Nobody’s Fault But Mine
04. Black Dog
05. In The Evening
06. The Rain Song
07. Hot Dog
08. All My Love
09. Trampled Underfoot
10. Since I’ve Been Loving You
DISC TWO
01. Achilles Last Stand
02. White Summer - Black Mountain Side
03. Kashmir
04. Stairway To Heaven
05. Rock And Roll
06. Heartbreaker
DISC THREE
LAST REHEARSAL September 1980
01. White Summer #1
02. White Summer #2
03. Kashmir
04. Achilles Last Stand
05. Stairway To Heaven
BONZO’S DEATH NEWS September 25, 1980
06. News Report #1
07. News Report #2
08. News Report #3
09. News Report #4